2015年02月15日
明治20年代には教科書にも木口木版が…

展覧中の明治の21年と22年に制作された高等小学校読本1~7巻
教科書の挿絵に木口木版が使われたのは明治20年代で、30年になると銅板など手間のかからない技法が一般的になり木口木版は使われなくなったようです。

この教科書の中の挿絵には銅板、木版、木口木版が…

教科書の木口木版の挿絵は、画 山本芳翠 彫 合田清、生巧館(山本芳翠と合田清が立ち上げた会社兼木口木版の養成所)
日本地理初歩の木口木版は 画 村田 彫 森山天葩

山本芳翠 図録

山本芳翠は岐阜県の明智村生まれ、代表作の「裸婦」は日本人として初めて描いた油彩画の裸婦
図録あいさつ文から
明治初期、高橋由一や浅井忠、黒田清輝らと共に日本洋画壇の発展に大きな足跡を残し、56歳でこの世を去る。芳翠は明治11年、当時わが国では「西洋化すなわち近代化」と考えられた時代に念願かなって10年間フランスに留学。また法律研究のため留学中だった黒田清輝に洋画をすすめ、農学者志望の合田清を西洋木口木版画家に導いた。
日本では木口木版の本格的な技術の導入は、明治20年に合田清がフラン氏から帰国し生巧館をおこしてからということですから、合田清を木口木版に導いた山本芳翠は、今日ある日本の木口木版の元の元だといえるのでしょうね。
教科書の挿絵に木口木版が使われたのは明治20年代で、30年になると銅板など手間のかからない技法が一般的になり木口木版は使われなくなったようです。

この教科書の中の挿絵には銅板、木版、木口木版が…

教科書の木口木版の挿絵は、画 山本芳翠 彫 合田清、生巧館(山本芳翠と合田清が立ち上げた会社兼木口木版の養成所)
日本地理初歩の木口木版は 画 村田 彫 森山天葩

山本芳翠 図録

山本芳翠は岐阜県の明智村生まれ、代表作の「裸婦」は日本人として初めて描いた油彩画の裸婦
図録あいさつ文から
明治初期、高橋由一や浅井忠、黒田清輝らと共に日本洋画壇の発展に大きな足跡を残し、56歳でこの世を去る。芳翠は明治11年、当時わが国では「西洋化すなわち近代化」と考えられた時代に念願かなって10年間フランスに留学。また法律研究のため留学中だった黒田清輝に洋画をすすめ、農学者志望の合田清を西洋木口木版画家に導いた。
日本では木口木版の本格的な技術の導入は、明治20年に合田清がフラン氏から帰国し生巧館をおこしてからということですから、合田清を木口木版に導いた山本芳翠は、今日ある日本の木口木版の元の元だといえるのでしょうね。
Posted by 千代田画廊 at
12:46
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