2015年08月31日

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」の文言

9月に予定している
    「山本玄峰展」予告編

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」
という有名な一節は、終戦の玉音放送の昭和天皇陛下の肉声、当時80才の玄峰老師が時の総理大臣鈴木貫太郎に「これからが大変な時ですから、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで体にを付けてやってください。」と送った書簡から生まれた言葉、また”象徴天皇”も山本玄峰老師助言から生まれた事をみなさんはご存知でしたか?
山本玄峰老師は戦前、戦中、戦後を通して宗派を超えて、陰ながら日本の行く末に大きな影響を与えた高僧

1988年冬 季刊「禅画報」第6号より
  和歌山県・湯の峰より本宮に至る古道
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」の文言

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「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」の文言

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」の文言


500年に一度の名僧 白隠禅師の再来(今白隠)、昭和最大の禅僧と称された山本玄峰老師は50才で三島の白隠ゆかりの龍沢寺のを復興させ住職となる。1961年(昭和36年)6月3日三島伯日壮にて96才で遷化された。



Posted by 千代田画廊 at 15:11│Comments(0)
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